2015年4月29日水曜日

第2回 フィアット500 他の基準を撥ね付ける強烈な美意識

  ちょっと近所に引越しでもしようかと、お世話になっている不動産屋に出向いて、いろいろ物件を見せてもらいました。ここ数年のトレンドでしょうか?東京西部に新築される一戸建て物件はやたらとオシャレなものが多く、3000万円台で築5年くらいのデザイナーズ・ハウスがゴロゴロ出てきます。相場としては新築一戸建てが40坪で6000万円〜くらいで、3LDKの新築マンションならば3000万円台のものもチラホラなので、3000万円台の中古住宅の価値はなんともピンときませんが、どこも家賃10万円/月でそこを借りてもいいかなくらいなので、20年償却と考えると2400万円くらいが不動産投資物件としての実質的な価値かなという気がします。ちょっと残念なことに、どれも外観のモダンさに惹かれたものの、どれもこれも「肝心のモノ」が小さいのがやはり致命的です・・・このタイトなスペースが駐車場ですか?

  家に帰ってきてからも、やっぱりデザイナーズ・ハウスは良さそうだな、とまだまだ未練がましくうじうじ考えていて、ふと近所にフルサイズでどんなクルマでもOKの駐車場を借りれば済むのでは?ということに気がつきました。しかし私有地の駐車スペースとして用意してある「あの土地」をどう使えばいいのか? いっそのこと下駄代わりにデミオでも買おうか?いやいやスイフトスポーツにしておこうかな? 東京でジムニー乗るのははちょっとハードボイルドかも・・・などなど。しかし建物との釣り合いを考えたら、もっと個性的なコンパクトカーを選ぶしかないよな〜・・・軽自動車くらいに小さくて存在感が抜群なクルマといったら、もうイタリアの「アレ」しかないですね。

  まあ地域にもよるのでしょうが東京近郊の住宅区画の多くは本当にセコセコで、とても高級車をこれ見よがしに置くような規模の家なんてまず建てられません。これでは東京ではとうてい豊かなクルマ文化なんて育つはずがないかな・・・。駐車区画は恐ろしく狭いのに、なぜか便利であるはずの軽自動車はとても少なかったりします。最近はホンダの軽がやや増えている気もしますけどまだまだですね。高齢者世帯と思われる人々がまだまだクラウンにやブレビスに乗っています(もちろん結構なことなんですが)。日本全体で4割以上が軽自動車だそうですが、東京西部のJR中央線沿線(立川〜中野)では、体感で軽自動車は1割程度な気がします。何が良いのかさっぱりわからないですけど、スモールサイズ(Cセグ)の輸入車に乗ってドヤ顔してそうなオバさんドライバーが多いです。完全に「使い勝手」「乗り心地」なんかよりも「世間体」が優先なんだろうな・・・けどAクラスを選ぶなんて「私は全くのクルマ音痴です」って宣伝して回っているみたいなものですけどね。

  デザイナーズ・ハウスに引っ越して、イタリアの「アレ」を家の前に置こうとしている自分も人様のことをあれこれ言えないですね・・・。さて「アレ」こと「フィアット500シリーズ」は、アニメ「ルパン三世・カリオストロの城」などにも登場した名車の系譜につらなるもので、2007年になって「復刻」されたものながらも、その洗練されたデザインは美しく、欧州(イタリア)自動車産業が積み上げてきた歴史の重厚さを映し出す究極的なアイコンといっていいかもしれません。他にもクラシカルな欧州デザインとして「ルノー4CV」「VWタイプ1」(現在のザ・ビートルに受け継がれるデザイン)「シトロエン2CV」「アルピーヌA110」であるとか、あるいはやや趣味性が強い「ACコブラ」など素晴らしいものが多数ありますが、その中でも代表的なモチーフを奇跡的に現代的なデザイン文脈の中に見事に取り込んでまとめ上げた造形力は「奇跡」に近く、当然のことですが2009年の「ワールド・デザイン・カー・オブ・ザ・イヤー」に輝いています。

  同じ復刻デザインとしてVWの「ザ・ビートル」と比較しても、この「フィアット500」が持つ意味は大きいように感じます。少々心ない言葉で罵るとするならば、ザ・ビートルの復刻は、ポロのシャシーに「キットカー」的なボディを被せただけの存在でしかありませんでした。一方でフィアット500の復活はあえてAセグメント(日本の軽自動車クラス)に落とし込んだところに大きな価値があると思います。VWのBセグメントにバリエーションを加えた格好のザ・ビートルは、ポロとの比較において、ボディラインに手が加わっている分だけ車重が重くなり、ポロと同じパワーユニットを使うだけでは、走りがかったるくて商品性がやや霞んでしまいます。

  一方で、Aセグになった「フィアット500」は69psの3気筒エンジン(1.2L自然吸気)でも十分に引っ張れる約1000kgの車体に収まっています。さらに欧州のダウンサイジングの最前線として、"ツインエア"と名付けられた875ccの2気筒ターボも追加されました。BMWやプジョー辺りで3気筒が話題になっていますが、フィアットはこのクラシカルなデザインのクルマで、すでに2気筒へと進んでいるわけです。

  VWはドイツメーカーらしくあまり極端な設計を好まない傾向にあり、オペルもそうですがコンパクトカーを熱心に作ろうという情熱にやや欠けるところがあります。どちらもスズキの技術を流用して小型車(up!とアダム)を発売していますが、どうもドイツ人はAセグメントをセコいフランス車&イタリア車の代名詞と考えている節があります。ザ・ビートルをなんとなく復刻して、仕方ないからゴルフGTIのパワートレーンを移植して「ザ・ビートル・ターボ」なる軽快な走りをするグレードが追加されましたが、欧州でのBセグはWRCのベース車が人気で、当然ながらスポーティさを意識したターボのハイパワーモデルも多数ラインナップされています。その中でボディが重いザ・ビートルを同じレベルで走らせるためにV37スカイラインのターボとほぼ同じ出力のエンジンを持ち込まなければならないという「後手な設計」を見る限り、当初から「コンセプト」もなにも無く無計画な復刻だったのではないか?ということが伺えます。

  その一方で、イタリア車としてのプライドを示すAセグへと結実したフィアット500は、簡易的なサスペンションでも十分にパフォーマンスを発揮できる軽量ボディに収め、足回りに重苦しい強化用スタビなどを追加する必要もないようです。スポーティ版となる「アバルト500/595」では1.4Lターボ(136ps/160ps)でも、1100kg台の軽量をキープしています。たしかにコレぐらいのパワー:ウエイト比では、本気モードのスポーツカーからみれば決して「俊足」とは言えないでしょうけども、漠然とクルマを作っている印象のVWよりも、明らかに魅力的なコンセプトの上に出来上がった「芸術的」なプロダクトになっているのは間違いないと思います。

  やはりアート系と言っても、大前提として「クルマのトータルコンセプト」が、感銘という意味でも最大の評価ポイントであることは変わりないです。つまりスペックだけでいろいろと想像を掻き立ててくれるクルマ・・・例えばマツダロードスターやポルシェ911といったストイックなほどに余分なものを削ぎ落した「ピュアスポーツ」と比べるのはどうかと思いますが、それくらいにテンションが上がる設計、そしてそれに付随する高揚感こそが「アート系なクルマ」の価値を異次元のレベルへと上げてくれる!とでも言っておきましょう。
  
  日本車とドイツ車はどっちがカッコいいか?しばしば同じ土俵で語られるようになった「自動車先進国」を自認する両国の「プレミアム」なクルマに、何も感じることができずに心が晴れない!という人いると思います。「レクサスはアウディをパクった」、「BMWはホンダをパクった」、「アウディの原点は日産プレセアだ!」とか、とにかくとっても仲が良い日独両国の自動車産業・・・そんなヤツらの「出来レース」にイライラしたりしませんか? とりあえず臆面もなく躊躇もせずにさらりと平気な顔して適当に「パクる」日独両国のデザインは、いつからかわかりませんが、どうもユーザーに対しての傲慢な姿勢が滲んでいる気がするんですよね。そして日独を比較するまでもなく「どっちも徹底的にダサい!」と吐き捨ててやりたい衝動に駆られてしまう人の基準こそが、「アート系」のクルマ選びなのかな・・・っていう気がします。え?マツダですか?「はぁ?」って感じかな。

  日本車とドイツ車が圧倒的なマジョリティになって、日本の道路に溢れています。夜に前を走るセダンのリアデザインが「クラウン/マークX」「C/Eクラス」「3/5シリーズ」「A4/6」「フーガ/スカイライン」のどれなのか良くわからないまま接近したら「アテンザ」だったなんてこともしばしば・・・。こいつらどれだけ同化すればいいのかな?

  フランスに行けばフランス車が多数派で、イタリアに行けばイタリア車が多く、イギリスに行くと?・・・オペル(ドイツ)が多いかも。もちろん日本車とドイツ車は高性能なことは認めていて、右ハンドル国のイギリスでは、グローバルで強いこの両国のモデルを受け入れなければ、乗るクルマが無い(まともな右ハンドルはレア)のでしょうけども、フランスやイタリアでは地域に密着した地元メーカーが大きなシェアを保持しています。日本も日本メーカーが圧倒的にシェアを持っていますが、ドイツ車と見分けのつかないくだらないデザインにいつまでも囚われていないで、日本の「原風景」に立ち返ってみるのもいいかもしれません。デザイナーズハウスの前に置くクルマとして「トヨタ・パブリカ」「スバル360」「ホンダN360」といった名車のデザインを復刻させてみてはどうでしょうか?(ちなみにフィアット500はアメリカでも絶賛発売中のグローバル車です!)


  
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2015年4月19日日曜日

第1回 BMWミニは本当にアートなのかい?

  先日、山梨にある「キース=ヘリング美術館」に行ってみたんだけどさ、まあこれがなかなかビックリ!・・・何がって?「80年代アート」というのはこんなにも瑞々しくて、生命力に溢れたものなのかってこと。まるで2015年の現在に世界のどこかで「新しい表現」として生まれたかのような新鮮さがありました。もちろん日本から遠く離れた地域(NYとか)での文化だからそう感じる部分もあるし、キース=ヘリングが属するアートは「ポストモダン」のようなメインストリーム芸術に対する「カウンター・アート」だからなのだろう!って考察もできる。そして「ポストモダン」(=化石)を代表するような芸術作品はというと、思い描くものは人それぞれでしょうけど、やっぱりどれも風化していて「ポスト」なのに悲しいほどに徹底的に古い(ポストゆえに急速に劣化?)という哀愁に誘われる。

  自動車デザインで例えるならば、ジウジアーロの作品として名高い「初代VWゴルフ」なんかが典型的な「ポストモダン」だね。その後に登場したフォロワーども・・・「3代目シビック」「5代目ファミリア(BD型)」もまさに同類。確かに3モデルともに「品格」こそ感じられっけど、今の視点で見ると徹底的に「古い」から、2015年に愛車として乗るには勇気が必要。結局のところ「ポストモダン」とはグローバル化の尖兵的な事象に過ぎないわけで、ジウジアーロのデザインしたクルマが世界中で売られるようになり、日本でもイギリスでも同じようなデザインのクルマがアホみたいにボコボコと作られて、デザインの価値が「消化」されたんだろうね。ジウジアーロの「革新」的な影響力が情報化によって急激に増幅された結果、同時代的な別のデザインアイディアの芽をも摘み取ってしまったようだ(まあジウジアーロに勝てるデザインが無かったんだろう)

  ちなみに誰も知らないクルマだと思うので挙げなかったけど「オースティン」というイギリスのブランドから発売された「メトロ」「マエストロ」「モンテゴ」なんていうクルマも「初代ゴルフ」にそっくりなデザインだったりする。ちなみにこれらニューデザインのクルマが相当に不人気だったようで、「オースティン」ブランドは発売からまもなく終焉する羽目に遭う。そしてこの不人気車3台の前身モデルにあたるのが「オースティン1100」というシリーズなんだけど、これがさ・・・「キース=ヘリング」なんだよ。見ればわかるけど、今の日本でも大人気になっている「BMWミニ」の源流っす。

  ちょっとややこしいし、今となってはどうでもいいことなんだけど、オースティン・ローバー・グループっていって、「オースティン」と「ローバーミニ」のプロダクションは根っこが同じで、デザインも我々日本人には区別できないレベルにそっくり。BMW傘下になって3代目となるミニは、もはやイギリス車なのかドイツ車なのかよくわからないけど、あのオシャレ腐ったBMWグループの一員として、デザイン面でもの凄い発信力を持ってやがる! 名門メルセデスでさえも、いつの間にやらアメリカや中国に媚びるようにケバケバしい化粧をまとった「カスデザイン」になっちまったけど、BMWミニは自らの「キープコンセプト」をこの2大市場に押し付けつつ、ちょっとデカくなって迎合している部分もあって評価は微妙だけど、メルセデスや本家のBMWよりはずっとマシですかね。

  「ポストモダン」の最新バージョンとして劣化の時をただ待つだけの最新型メルセデスよりも、BMWミニはずっとずっとずっと「血の通った」デザインってこと。先代のメルセデスEクラスはもの凄く情けない姿をあちこちで晒してますけど(あのダサいヘッドライトは何?)・・・その劣化はクラウンなんかよりもずっとずっと早いですなぁ。日産も北米向けにデザインされたフーガやスカイラインの劣化がやたらと早い。まだセルシオの面影を残すレクサスLSの「非スピンドルグリル」は格調を感じるけど、あのグリルを配したレクサスはどれもこれも劣化が早い。まあメーカーとしては金持ち相手の商売で、すぐに買い替えをさせるって狙いもあるだろうけど

  結局さー・・・「スパルタン」「エアリアル」「サイバー」「メルヘン」「エキセントリック」なんて要素を無理矢理に取込んだところで、資本主義の上層階にいる人々なんてデザインに大して興味が無いんじゃないっすか?「ミウラ」や「カウンタック」のような牧歌的な時代(オイルショック以前)ならまだしも、それ以後の高級スポーツカーってどこか嘘くさい。「ポストモダン」以降の高級車なんてどれも、「金持ちが乗ってそう」と思わせるだけが取り柄の縮こまったものばかり。歴代のSクラスも7シリーズもA8も、何一つ記憶に残るモデルなんて無い。「金持ちのライフスタイル」の一部を構成する家電くらいの重みしか無いです。さて・・・これは禁句かもしれないけど、歴代の「911」も振り返れば「無」だと気づいてしまうよ。

  世界中の人々がそれぞれに営む「ポストモダン」的なライフスタイルの中に取り込まれてしまったら、そんな「能天気」なクルマなんてさ、精神的な部分では全くの無価値・・・。キース=ヘリングのアートにはそんな「空虚な価値観」(=現代生活)によって消化されたりしないだけの強靭な「精神」が宿ってるよ。反社会的なスタイルとかエイズで夭折したりとか、「汚れちまった悲しみに・・・(@中原中也)」みたいな「業が深い」というか「突き刺さるリアリティ」とか。カウンターアートの担い手というのは、どいつもこいつもアンダーグラウンド出身。そしてアンダーグラウンドなピープルによって支持されてるから、権威主義的な人々からは軽蔑される・・・だからカウンター。

  資本主義ってのは「階層化」から逃れられないみたいだけど、社会の底辺によって支持されてきたモノってのは、その年月が築き上げた「オーラ」を纏うようだ。「ローバー・ミニ」「フィアット500」「VWビートル」なんかが、その代表格になるのかな。個人的な好き嫌いはともかく、客観的な視点で見つめれば多くの人々の心を動かすオーラを放っているね。余談だけど「一億総中流」だったはずの日本車にもその手のモデルはあるよ。「スズキ・ジムニー」の2代目は1981〜1998年までの18年間ロングラン、そして現行の3代目は1998年から今年で18年目に突入。ここまでくるといろいろな人を惹き付けるようで、普段から高級車をボロクソに貶す評論家の西川淳さんの愛車の1台になっているんだとか・・・。

  簡単に結論すると・・・、高級車ってのは悪く言うとその時代のライフスタイルの「奴隷」。そもそもデザインに「主体性」なんてないし、ただその時代の「欲望」を素直に形にしただけ(クルマには不要な価値観だと言っておこう・・・)。 廉価なクルマは・・・とりあえず人々に愛されて年月を重ねれば「意味」を持ってくるんじゃないですか。なので日本メーカーはベースモデルほど「キープ・コンセプト」で作り続けてみてはどうですかね? 

  え?「底辺のクルマ」ミニに400万円とか払う日本人は馬鹿かって?・・・知らん。

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